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海舟の中で資産設計を ver2.0
2008年10月、リーマンショックのさなかからインデックスファンド中心の資産運用開始。以来7年、現在の運用資産残高1000万余(預金等含まず)。投資関係中心に語ります
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Author:安房
2008年10月、リーマンショックのさなかからインデックスファンド中心の資産運用開始。
以来7年、現在の運用資産残高1000万余(預金等含まず)。
投資関係中心に語ります

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社会的投資の「パフォーマンス」。「成果」を挙げられる? 「芸」にしかならない? 志実現のための能力こそが問われる
投資活動で「志」なるものを重視する考え方について。
投資において志は大事だが、志でリターンは上がらない?  (note.mu/renny)


たしかに、社会貢献という視点でファンドを選ぶことそれ自体は全否定されるものでもありません。
投資手法によって期待リターンが変わるとはいえないことを前提とすれば、要求されるコストが同等であれば、後はヘッジファンドであろうがインデックスファンドであろうが好きに選べばいい話で、社会貢献を謳うファンドもそれらと同等に選択肢に入れていいでしょう。あとは好みでよい、ただそれだけです。


しかし、数多くの人から見て「この事業は必要だ、その志は貫かれるべきだ」そのように判断された事業に、数多くの人たちからの資金が託されて、その志が実現される、貫かれる。それが市場が持つ素晴らしい機能であり、それをリードする、目利きするのが金融の本質的な役割です。
この指摘もそのとおりでしょうし、東方交易のために多くの資本家から資金を募った株式会社制度の起源から考えても一面の真理ではあります。

しかし、だからといって志を何よりも上位におくのはまた別問題です。




沢山の人たちが希求し、存在価値を認める、志の高い事業が成果をあげられないとしたら、それは市場、金融業の機能不全です。果たすべき役割を果たせていないということです。

「志の高潔さ」が投資のパフォーマンスに影響することは
まったくありません。

と断言してしまうのは、市場、金融業に期待するだけムダではないか、機能したっていまさら変わりようが無い、と諦めてしまっていることと同義ではないでしょうか。市場を、金融業を、叱咤すべきだと私は考えます。
志が高ければ成果を挙げられるべきで、挙げられないのは市場・金融業が悪い、というのはいささか飛躍があります。
しかし、果たしてその理想は本当に社会的ニーズに合っているのか。また、適切・妥当な形で顧客に、社会に届けるだけの事業運営能力があるのか。まずその部分が重要でしょう。

「日本にもまがい物でなく本物のウイスキーを」との理想の元、余市の地に蒸留所を建てた竹鶴政孝。
彼のしたことは間違いなく志として高いものであり、生産技術も持ち合わせていました。今日も世界を代表するウイスキーを生産しています(最近になってラインナップ改定などで微妙なことになっている部分もありますが…)。
しかし、その経営する大日本果汁、のちのニッカの状況は創業以来戦後しばらくするまでの間ほぼ一貫して倒産と隣り合わせ。税金さえ滞納する有様です。
当時は原酒の比率が低く色や香りだけ似せた低品質・低価格のウイスキーが大売れに売れ、高品質・高価格のニッカ製品は売れ行きが芳しくないという状況でした。
消費者のニーズと全く合っておらず、しかも、良いものは高くても売れるとばかりニーズを自社製品に向けるような工夫もしていなかったそうです(その点では、品質よりもまず売れるものをという壽屋・のちのサントリーのほうが上を行っていたようです)。
このような経営では行き詰るのもやむをえなかったでしょう。
全く社会に求められない商品しか出していなかったこの会社が仮にこのまま潰れたとして、それは金融業の機能不全なんでしょうか?

企業の志が果たして本当に社会的ニーズを体現しているのか、また、それを実行するだけの能力があるのか。そういった点の検証を抜きにして、一足飛びに金融業が悪いのだというのは、とても正当な論理展開とは考えられません。
問題にされるべきは経営者の能力(マーケティングや製品開発、人材登用etc)であって、それに問題がないのに資金が回らないという場合に初めて金融の機能不全云々が問われるべきです。
理想が高ければ金融業からの支援があって当然という態度は、被差別階層(性、民族、門地etc)ゆえに入学・採用試験の点数を加点優遇せよというのとどう違うのでしょうか。


また、「社会的インパクト(によるリターン)・アイデンティティのリターン・プロセスのリターン」なる概念で、金銭以外のリターンを提唱されています。

この流れでいえば、志の高潔さはリターン、パフォーマンスに大いに関係していると私は考えます。

パフォーマンスを評価する際に、比べる基準は市場平均とは限らないのです。最初にご紹介したコラムに、社会的責任投資を謳うファンドが割高な報酬を受け取りながら市場平均に大きく劣後する金銭的なリターンしか届けられていないことを指摘しています。このファンドに資金を託している投資家は、社会的責任投資を自分に代わって実践してくれることを期待してファンドに投資していることでしょう。ですから、最初に問うべきは、リターンが市場平均に劣後していることではありません。ファンドマネジャーが投資家と交わした約束を守っているか、受け取っている報酬を正当化できるようなサービスを投資家に提供しているか、なのです。その後に、ようやく金銭的リターンの問題になるはずです。
確かに、そのような概念を是認できるのであれば、金銭ベースのコストや期待リターンを前提に「高コストである以上、合理的にはインデックスファンドに代わる選択肢にはなりえない」という話はそもそも成り立たなくなります。

しかし、果たして志を支援するために低リターンやマイナスリターンを受け入れさせる、というのは正当なんでしょうか。
いくら理想に共鳴する投資家だって無限に資金を持っているわけではありません。
市場より低リターンになるということは、概ね全体的な経済成長やインフレ率等に比して不利になっているわけですから、投資家は徐々に困窮させられることになる可能性があります。
そのような状況に投資家を追い込んでまで志を果たすことを追求する「社会的責任投資」なるものは、果たして社会的責任の名に値するのか。
いわんやマイナスリターンになるようだと、投資家の資産残高そのものが細っていくことになります。
そこで、もう損切りせざるをえないと撤収する投資家もいるでしょうし、理想と心中するつもりで追加投資する投資家もいるでしょう。いずれにせよ犠牲を伴う決断です。しかし、このような犠牲を払い続けさせなければならないようなら、そのような理想は投資して実現させる社会的価値は果たしてあるんでしょうか。投資家の中には、惚れ込んだ志のためなら少々の犠牲くらい…という人もあるかもしれませんが、それでは一時的に志を実現できても、継続性があるんでしょうか(投資家が力尽きた時点で終了です)。いつ倒れ途切れてしまうかもしれない、そのような脆弱な形では社会的責任を果たしているといえるんでしょうか。

もとより、それでも投資という形でしかできないことがあるという意見には理があります。

「ガバナンス」です。「投資」を通じて資金を託されている会社でも「ガバナンス」に難を抱えているところも多く、むしろ「寄付」で支えられている会社の方が適切な「ガバナンス」を備えているケースもあるかもしれません。しかし、解決すべき社会課題が、時間を要する、資金を要する、困難を伴うものであればあるほど、それに長期的に取り組めるのは「投資」で集ったお金が生み出した事業だと私は考えています。
確かに、株主として経営者に意見を言える資格を保有する、これは重要なポイントでしょう。
内部から事業の収益性を向上させることができれば、(金銭的な)パフォーマンスも当然上がってくると思われます。
先のニッカの場合は、朝日麦酒(アサヒビール)が資本参加した後、アサヒ出身者やアサヒ社長の人脈で数人の人材(総務担当、営業担当)を送り込みました。
特に営業担当の彌谷醇平は、まともな営業体制を整え、さらに原価計算に基づいた損益分岐点試算を根拠に価格引下げを認めさせて(新製品「丸壜ニッキー」の投入)結果的に販売数量を大きく伸ばし、経営基盤の安定をもたらしました。
また、アサヒ社長の山本爲三郎自身もカフェ式蒸留器の導入を提案してその為の資金援助もしています。
これらの取り組みによって竹鶴政孝の技術を生かしつつ、ニッカの経営の安定や商品内容の更なる向上をもたらし、竹鶴自身の理想の実現を大きく後押ししたことを思えば、これはまさしく株主として参加して志を実現させた成功事例でしょう。
ただ、ここまでやるとなるとそれはもはや事業経営そのものになってしまいます。

流石にここまで深く入り込む事例ばかりはないでしょうが、企業の志が事業として成り立つレベルで実現できるまで支援するとなると、それなりに当該業界の実務への通暁も必要になるでしょうし、人的物的な基盤作りの構想力・実行力も程度の差こそあれ必要になるでしょう。
それ無しでは、いくらガバナンスの権利があるからといって、有効な支援となりうるのか非常に心もとない。実務能力も企画力もなしに理想ばかり合唱していてもなんにもなりません(企業経営でなく政治の話になってしまいますが、民主党だって政権を取る前に唱えていたことはそれは立派だったものです)。


果たして、個人投資家はもとより、普通のファンドにもここまでの能力や覚悟のある者がどれだけいるんでしょうか。
銀行だったら人材紹介やビジネスマッチングも普段からやっていますからそれに準じた形である程度可能でしょうが、事業をやるというよりは資産運用を専らフィールドとするファンド業界には厳しいものがあるのかな、という気がします。


理想に共鳴する、それは良いことでしょう。
その実現を支援する、それも良いことでしょう。
しかし、その理想がニーズに合っているのか、あるいはニーズを掘り起こせるのか。また、実現する技術力やマネジメント能力が経営者にあるのか。
足りないものがあった場合、その部分を補うのに何が必要なのか。
これらを判断するのはまさに経営です。
企業の状況やガバナンスへの入り込みようによっては実務にまで関与する(せざるをえない)こともありえます。
そしてこれらが備わって初めて志の実現をみます。
経営者自身と投資家がこれらの重責を果たして初めて社会的責任投資は真価を発揮します。

実現性のない(実現しても長持ちしない)志に金を投じるのは不毛そのものです。
金があっても有効な事業上の助言ができる能力、深く事業の中に入り込む覚悟がなくてはガバナンスといっても空しいものと言わざるをえません。
そのような状況では社会的責任といっても画餅というものです。
果たして、やろうとしていることは本当に志を実現する社会的責任投資なのか、志や社会的責任に名を借りた自己陶酔でしかないのか、そこを真剣に(投資先企業にも投資家自身にも、中間業者がいるならそこにも)問うことはあっていいでしょう。


追記。
いすみ鉄道の社長のブログの記事を2本(前・後編)紹介します。
地域運動の例になりますが、いくら公益っぽい目的があったところでお題目と自己満足の活動だけじゃ駄目でちゃんと具体的な課題発見と解決の能力がなきゃならん、という意味で通じるものがあるかと思います。
いろいろな見解。
いろいろな見解 つづき
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[ 2015/11/16(月) 00:12 ]
[ 最終更新:2018/02/11(日) 17:51 ]

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