また、アサヒ社長の山本爲三郎自身もカフェ式蒸留器の導入を提案してその為の資金援助もしています。
これらの取り組みによって竹鶴政孝の技術を生かしつつ、ニッカの経営の安定や商品内容の更なる向上をもたらし、竹鶴自身の理想の実現を大きく後押ししたことを思えば、これはまさしく株主として参加して志を実現させた成功事例でしょう。
ただ、ここまでやるとなるとそれはもはや事業経営そのものになってしまいます。
流石にここまで深く入り込む事例ばかりはないでしょうが、企業の志が事業として成り立つレベルで実現できるまで支援するとなると、それなりに当該業界の実務への通暁も必要になるでしょうし、人的物的な基盤作りの構想力・実行力も程度の差こそあれ必要になるでしょう。
それ無しでは、いくらガバナンスの権利があるからといって、有効な支援となりうるのか非常に心もとない。実務能力も企画力もなしに理想ばかり合唱していてもなんにもなりません(企業経営でなく政治の話になってしまいますが、民主党だって政権を取る前に唱えていたことはそれは立派だったものです)。
果たして、個人投資家はもとより、普通のファンドにもここまでの能力や覚悟のある者がどれだけいるんでしょうか。
銀行だったら人材紹介やビジネスマッチングも普段からやっていますからそれに準じた形である程度可能でしょうが、事業をやるというよりは資産運用を専らフィールドとするファンド業界には厳しいものがあるのかな、という気がします。
理想に共鳴する、それは良いことでしょう。
その実現を支援する、それも良いことでしょう。
しかし、その理想がニーズに合っているのか、あるいはニーズを掘り起こせるのか。また、実現する技術力やマネジメント能力が経営者にあるのか。
足りないものがあった場合、その部分を補うのに何が必要なのか。
これらを判断するのはまさに経営です。
企業の状況やガバナンスへの入り込みようによっては実務にまで関与する(せざるをえない)こともありえます。
そしてこれらが備わって初めて志の実現をみます。
経営者自身と投資家がこれらの重責を果たして初めて社会的責任投資は真価を発揮します。
実現性のない(実現しても長持ちしない)志に金を投じるのは不毛そのものです。
金があっても有効な事業上の助言ができる能力、深く事業の中に入り込む覚悟がなくてはガバナンスといっても空しいものと言わざるをえません。
そのような状況では社会的責任といっても画餅というものです。
果たして、やろうとしていることは本当に志を実現する社会的責任投資なのか、志や社会的責任に名を借りた自己陶酔でしかないのか、そこを真剣に(投資先企業にも投資家自身にも、中間業者がいるならそこにも)問うことはあっていいでしょう。
追記。
いすみ鉄道の社長のブログの記事を2本(前・後編)紹介します。
地域運動の例になりますが、いくら公益っぽい目的があったところでお題目と自己満足の活動だけじゃ駄目でちゃんと具体的な課題発見と解決の能力がなきゃならん、という意味で通じるものがあるかと思います。
いろいろな見解。いろいろな見解 つづき